祈り=対話

 こんにちは。キリスト教福音宣教会(摂理)、牧師のけんじです。大阪の主聖霊教会に所属しています。今日は信仰的な話題です。私たちの先生であるチョン・ミョンソク牧師は、信仰生活の中で重要な「祈り」についていつも、「祈りは対話だ」「(一方的に)祈るよりも神様と対話しなさい」という話をたくさんされます。

 簡単に説明してみます。神様という存在も、言ってみれば一人の人間と同じような存在である。(参照:創世記1:26「神はまた言われた、われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、」)だから、人も相手を知ってこそ対話や人間関係が成り立つように、私たちがもっと知りたく近づきたい相手である神様の声にもっと耳を傾けたり、質問を投げかけたりしながら対話することが信仰の次元をアップしていく上で重要なことだということです。(理解できるでしょうか?難しい話ですよね。)やってみると簡単ではないですが、毎朝神様に向き合い、心を空け、心に静かに伝わってくるその声に耳を傾け、対話しながら祈って生活を始める、この習慣があってこそ自分の考え方や行動をよく変えていくことができると思います。

 こういう先生の実質的な教えを徐々にでも理解していただくならば、「摂理は洗脳された人の集団だ」「過去あった宗教団体のようにマインドコントロールされている宗教だ」と言われる誤解は無くなると思います。

 私自身、高校野球部時代、部活中に許されていた単語は「はい!」「いいえ!」の二つだけでした(笑)。まさにいわゆる「軍隊式」で、言論の自由はゼロに等しかったです。それを考えると、この教会での信仰生活は、常に自分を見つめ自分で考え、課題を見つけ、解決方法も見つけ、もがきつつも前進していく、という極めて能動的な生活です。学生時代までは眠っていた自分の才能、能力を開花させてくれた場だなとつくづく感じています。まだまだコロナの期間は続きそうですが、今までやってこなかった「文章を書く」ことも続けて開発していきたいと思います。

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