強く、雄々しくあれ
こんにちは。キリスト教福音宣教会(摂理)、牧師のけんじです。大阪の主聖霊教会に所属しています。少しブログ更新の間隔が空いてしまいました。今日からまた新しい気持ち、気軽な感じで、再スタートします。
私が大学1年生の終わり頃、先生の聖書の御言葉を学び始めましたが、その当時、教会の先輩が私に送ってくれた聖句があります。「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。(ヨシュア記1:9)」今でも大切にしている聖句の一つです。
この「強さ」は、実は私が聖書及び神様に出会うずっと前、小学生の頃からの人生のキーワードでした。11-12歳当時、よくこんなことを考えていました。「優しいだけなら誰でもできる。男には優しさと強さが必要だ。」何故か、こんな美学が不思議と自分の中に作り上げられていました。(今考えるととても個性的な小学生ですね)
中学、高校と経ていく成長過程で、私はこの「強さ」を得るためにとてももがきました。特に高校野球生活では、厳しい監督の言葉や圧力に負けて、敵と戦う前に自分の中の弱さや委縮感と戦っているうちに3年間が終わってしまいました。やりきれない悔しさだけが心に強く残りました。どうやったら強くなれるのか??文武両道を熱心に究めても到底答えが見えてこないテーマでした。
誰にも話してこなかったこの「強さ」を得るための戦いに答えを与えてくれたのは御言葉を教えてくれた先生でした。今週の御言葉の中でも「悟る人だけが能力、力、威力を得られるし、大胆、果敢に行なえる」と話されました。見せかけや表面的なものでもなく、一時的でもない強さ。そして当然内面からにじみ出る芯の強さ。そこから来る大胆さ、果敢さ。それは創造主神様という存在とその方の人間一人ひとりに向かう目的、意向、心をはっきりと学び知る時に、得られるものだと感じます。まさに、「強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。」その通りだと確信します。
濡れ衣により10年間獄に放り込まれても、むしろ精神、思想を強くし、神様も人も恨むことなく、むしろもっと大きく成長を遂げられた先生。その姿で毎日力強く活動される先生は、やはり私にとって優しく強い男のモデルに違いありません。