「わたしは、有って有る者」

 こんにちは、キリスト教福音宣教会で牧師をしているけんじです。大阪の主聖霊教会に所属しています。今日の大阪は雨です。最高気温が10度を下回っていますが、こういう日もいよいよ終わりそうです。春が近づいていますね。

 少し投稿間隔が空きました。というのも、今回で記念すべき40回目の投稿!と言うことで、何を書こうかと思ってちょっと意識してしまいました。昨年の5月20日が初投稿でしたが、その時はここまで継続できると思っていませんでした。しかし、いつも神様が構想を与えてくださり、聖霊様がよく書けるように感動を与えてくださり、また皆さんが読んでくださって今日まで来れました。本当に感謝しています!

 あたかも2000本安打を達成したかのようなくだりになりました笑。しかし、わずか「40」という数字でも、他人との比較ではありません。自分自身が残している足跡に驚いています。元々はこのように思いを表現する人間ではなかった。学生野球で燃え尽き、営業マンにも満足せず、一度は死んでいた、、。ブログを9か月間書いてこれたのは、やはり突き動かされるような思いがあるからだし、一生かけてでも表現し説明せずにはいられないことがあるからです。チョン・ミョンソク牧師について、摂理について、そこで学んだ私の生き方について。

 今日は「有って有る者(あってあるもの)」というタイトルにしました。旧約聖書、出エジプト記3章14節に『神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。(以下省略)』とあります。この部分について過去先生が教えてくださったのは、「神様が自らのことを、有って有る者とおっしゃっているのは、自ら存在するということだ」です。神様は何者かによって存在させられているのではなく、自ら存在し、自らの意志によって存在しているのだ。ここから学ぶべきことは、神様にかたどってつくられた人間(創世記1章26~27節を参考)も、誰かによってやらされたりするのではなく、自らの意志を持ち、自ら存在してこそ理想的に生きることができる」ということです。

 40回目を締めくくる今日の結論。「摂理は先生の教えよって洗脳されている」「若者が騙され、マインドコントロールされている」という根拠のない間違ったネット記事を鵜呑みにされている方がいましたら、ぜひ先生と摂理について正しく知って頂きたいです。摂理に存在している私たちこそ、自分の意志によって人生を歩みだした人たちであるということ。先生の教えに「勧め」はあっても、「強要」は無いということ。まだまだ説明、主張したいことは多いです。

 加えるならばこれです。摂理が悪いという方々の主張の一つは「摂理=洗脳とマインドコントロールだ」。私たち摂理の中に存在する人たちの主張は「摂理こそ自由主義であり、各自が選択する世界であり、自由意志を重要視する世界である」。どうですか?真逆じゃないですか??そうです。主張が真逆すぎます。だから、真偽を確かめる方法はやはり一つだと思います。先生が伝える御言葉を聞いて頂くのが一番だと思います。そうすればどちらの主張が正しいのかハッキリします。そのような機会、方法をつくれるように私自身も続けて研究していきたいと思います。

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