師走は一年の感謝を捧げる時
こんにちは。キリスト教福音宣教会(摂理)、牧師のけんじです。大阪の主聖霊教会に所属しています。勢いに載せて連日の投稿です。昨日数えたらこれでようやく33投稿目です。始めた頃は続けられるのかどうかが心配でしたが、なんとかここまでこれました。33と言えばイエス様が亡くなられた年齢を思い出しますが、次の目標は40にしたいと思います。
私たち摂理の人々は、チョン・ミョンソク牧師から始まって、一年最後のこの月を神様に感謝と栄光を帰する月と定めて日々を生きています。一口に感謝と言うと、漠然としていて広いイメージですが、先生は説教の中で「感謝について学ぼう」「一つ一つ具体的に感謝すべきことを悟って捧げよう」「物質よりも心からの感謝をし、喜びの生活を送ろう」など根本的な内容を教えてくださっています。
どうしても「感謝」というと、助けてくれた人に対する感謝ばかりに偏りがちですが、先生も最初幼い信仰者だった頃はそうだったようです。成長するにつれて、目に見えない神様に対する感謝ができるようになったと。今では先生は、この地球にある万物すべて、太陽、空気、水、木、石、、、これらを根本的に人間のために創って下さった神様への感謝を深く捧げながら生きています。そしてその精神を教えてくださっています。そのような思想と精神だから、先生は10年間のあの苦しく苦しい投獄生活も、感謝の思いで過ごせたとおっしゃいました。たしかに、それぐらいの根本的な感謝の精神が自分に深く根を下ろしてこそ、どんな想像を絶する患難困難の中でも感謝することができますよね。新約聖書、テサロニケ人への第一の手紙5章18節「すべての事について、感謝しなさい。」この聖句は読んで聞くにはとても素敵な聖句ですが、「すべてにおいて」感謝を実践することは実際容易なことではないと感じます。
イエス様はあの恐ろしい十字架の上で、迫害者をも恨まず、むしろ許しと感謝で人生を終えられました。チョン・ミョンソク牧師もこの時代の十字架とも言える投獄生活で、むしろ自由な世界にいる私たちを励まし生かし続け、感謝の生活を続けられました。
「人は良い時はいいが、難しい時大変な時にどう考え、どうするかが問題だ」この教えと精神を胸に刻み、根本の感謝に至った上で、コロナ問題に世界が揺れ続けた2020年を感謝感激で締めくくっていきたいと思います。