都構想 再度否決でしたね

 こんにちは、キリスト教福音宣教会(摂理)、牧師のけんじです。大阪の主聖霊教会に所属しています。少し間が空きました。11月になり、すっかり肌寒くなってきました。大阪の街は都構想選挙の反動もあって、やけに静かです。あまりにも熱を帯びた選挙戦だったので、、

 特に選挙戦の2週間、これに関するニュースをたくさん見たし、たくさん考えました。結果についていろいろ思うところはありますが、今日は簡単に感想で締めくくっておこうと思います。

 まず良かったこと。私個人としても、大阪市政、府政の歴史をたくさん学べて知れたこと、これが一番の収穫です。そして大阪全体としても住民一人一人が大阪の現状と今後について関心、意識をさらに持つようになったことが大きいと思います。東京一極集中の限界を感じる日本各地の人たちにもたくさん刺激を与える機会ではなかったでしょうか。

 次にちょっと嫌だなと思ったこと。特にYouTubeを見ていると、人々のコメントが目に入ってきて、心が汚れ、傷つきましたね。終盤は賛成側と反対側の激しい言論の戦争と化していたので、コメントの一つ一つが痛かったです。人間というのは、自分と違う意見、スタンスを認め、受け入れるのがほんとに難しいんだなと痛感しました。またネット時代、発信時代において自らの考えを発することは良いことだと思いますが、心の汚い部分がガンガン出てくるのがちょっと怖かったですね。皆社会が良くなることを願いながらも、過程の中で結局は平和を遠ざける現状となり悲しかったです。選挙で民度は上がるが、場が荒れるというジレンマを感じました。アメリカ大統領選も同じく大変ですね。

 そして最後にマスコミの影響力。政治が裏で絡んでいるとも言われた今回のいわゆる誤報道事件。大手新聞社の、M新聞、A新聞の記事は結果にも大きな影響を与えました。この新聞社の1面記事で、私たちが被った過去の被害を思い出しました。2006年、大阪の大手A新聞社は私たち摂理史と先生のことを1面で取り上げ、批判しました。当然ながらこの記事は事実無根のでっち上げ。しかしこの影響は大きく、未だに大阪にある国立大学はこの14年も前の記事をネタに新入学生に対して「摂理はカルトだ」という教育を繰り返す有り様です。たとえ小さな訂正記事が出ても、人々の印象は取り戻せません。

 政治がどちらに動こう何が起ころうと、そしてどんな戦いのような場面が来ても、敵をも愛し抜くチョン・ミョンソク牧師のような精神につくっていきたいと心を新たにする選挙戦でした。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA