都知事選ニュースを見て思う

 こんにちは。キリスト教福音宣教会、牧師のけんじです。大阪の主聖霊教会に所属しています。私は今でこそ住み慣れた大阪を愛する自称大阪人ですが、10年前まで住んでいた東京の都知事選、もちろん気になってます。今日もちょっとした政治ニュースネタを書きます。(政治ニュース、マイブームですね~)

 都知事選、現職小池知事の街宣を避けた「徹底したネット演説作戦」がもっぱらの話題になっていますね。それをニュースでは「都民の声に耳を傾ける気がない」と評価して書いたりしています。そういえば先日テレビで小池知事と山本太郎氏がやりあっている場面を見ましたが、ひたすら攻撃をしかける山本氏に対して、小池知事もなかなか返答に困っているように見えました。(あくまで個人的感想ですが)

 はい。では、今日は私が何を思い、何を表現したいのか。早速結論を書きます。私が摂理で先生から学んだ、指導者としてのあるべき姿勢は、「常に神様の御言葉と御心に対して忠実でありながらも、ついてくる人々の声に耳を傾け、小さな一つの声にも答えていくこと」でした。また「指導者は高くもあり、低くもありなさい」とおっしゃり、いつも高く高い天に合わせる姿勢、かつ、地において人々と調和・和睦する精神を持ちなさいと学びました。シンプルですが、実践しようと思ったら並大抵ではない努力が必要です。

 話は戻って、小池知事の作戦が何を意図しているのか、それは誰にも分からないし、ぼくが評価する立場でもありません。しかし「神様を信じ愛して生きる人として、いかに自分をよりよく作るか」という私なりの観点で見ると、「人から批判され、自分への改善要求をもらう。それを取り入れ、直して生きることは本当に大変だが、いつも自分を次元アップさせるためにはとても重要なことだ」と考えます。自分自身の過去を考えても、やはりこの方法が一番自分をよくつくる方法だったなと思います。

 先生は獄にいらっしゃった10年間、ご自身が最悪に大変な環境、状況にいらっしゃっても、今考えればとても配慮不足だった私からの手紙に対しても丁寧に返信してくれたことが何度もありました。それを世界何万人といる会員たちに対しても手書きで一通ずつ答えられました。人としてあまりにも想像がつかないことです。それにもっと驚くことは、同じ獄に閉じ込められ、そこで出会った人たちの苦しい身の上、悩みにまで耳を傾け、寄り添い、助言し、祈ってあげていたことです。

 一生かかっても追いつけない人格と精神力、実践力。そんな方が自分の人生の理想像であり目標です。運よく出会った恩師でありメンターが「先生」という方だから私は本当に幸せです。都知事選、そんなことを考えながらも続けて注目していきます。

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